魂の想い
相変わらず自分のことばっかり考えて過ごしているんですが、今日は涙が出てきたのでそのことを残しておこうと思います。
わたしは自分のことが好きなんです。生まれ変わってもわたしに産まれたいし、なんなら永遠にわたしでいてもいいと思ってます。
不足や不満は沢山あるのに何故かは解らないけど、わたしの姿かたちで、わたしの環境で、わたしの考え方で、わたしの心で、何度でも生きたいんです。
だけど、好きだけど愛してはいないんだろうと思っていました。
自分を心から愛していれば、今現在、自分を癒すためのブログなど書く必要がないから。
不思議に思ったので、そのことについて掘り下げてみました。
マインドはわたしのことを責めたりもするけど、よく言うことを聞く従順なわたしが基本的には好きみたいです。
条件付きの愛というやつですね。
他人に頼るわたしや、醜いわたし、弱いわたしは認められません。
そういうわたしは嫌いです。
でも、なんでわたしはわたしに何度でも生まれ変わりたいのか。あの辛く苦しい子供時代をもう一度やり直すのは嫌なはず。環境を変えた方がいいはずなのに。容姿だって、美しい方がいいはず。頭だって良いにこしたことはない。
なのになぜ?
何か一つでも変えたらわたしじゃなくなる、そう思ったときに突然解りました。
わたしの人生はこれで完璧なんだ。
わたしはわたしを許しているし、全部愛しているし、愛おしく思ってる。
この感情も。
あの失敗も。
この弱さも。
あの過ちも。
全部素敵な経験をしたと思ってるようだ。
苦しんでるときも泣いているときも、魂は経験を歓んでいたんだろう。
そして、もっともっとわたしという人間でいて楽しみたいと思っている、貪欲なくらいに。
自分が好きというのはマインドの声だったけど、何度でも自分に産まれたいというのは、わたしの魂の声だったみたいです。
気がつくと涙がでていました。
肺癌 ステージ4
わたしの父親、去年の12月頭に題名のとおり、小細胞肺癌でステージ4と診断され、余命3ヶ月を宣告されていました。
夏くらいから具合が悪かったようですが、喘息持ちだし、コロナのこともあったので喘息の薬を飲むだけで病院には行かず、いよいよ息苦しくなって病院に行ったら、肺癌で肺に水が貯まっていて緊急入院でした。
その肺に貯まった水を抜く手術をしたときに、一度息を引き取りかけて、家族が呼ばれたりしたのですが、一命をとりとめ、そして肺から水を抜くことができて、抗がん剤を始めることができるようになりました。
とはいっても、余命3ヶ月には変わりはない、ステージ4なので手術はできない、とのことでした。
インターネットや書籍で調べたら、小細胞肺癌は悪性度が高く進行が早い、でも抗がん剤がよく効くタイプの癌である、しかし、抗がん剤に耐性が出来るのも早く、すぐに効かなくなる、というようなことが書いてありました。
なので、完治は無理みたいだけど、共存ならできる場合もあるのかと主治医に尋ねてみたところ、家の父親と同じ癌の同じステージでも数年生きる人もいます、ということでした。
そして先月半ばに抗がん剤ワンクールが終了し、余命3ヶ月を10日くらい越えました。
抗がん剤治療は3日かかるので入院していました。退院後の3日くらいは少し気分が悪いようで吐き気止めを飲んでいたし、ちょっとふらつくと言っていました。
症状としては風邪の引きはじめくらいの感じでしょうか。吐いたり起き上がれなかったりとかいうことはなく、普通にごはん食べてました。
あとは退院後2週間くらいで鼻血がでて、1時間くらい止まらないことがありました。ずっと指押さえてたら止まりました。
それ以外は、酸素吸入をしているのと、少し歩くと息切れしてしまうという症状以外はほぼ通常の生活が出来ているし、痛みも水を抜く手術をした傷の痛み以外はなく元気でした。
そして今日はワンクール終了から1ヶ月たち、診察日でした。
CT をとったけど脳転移はなしで、肺の大きな癌は消えています、小さい癌はあるけど、ということで、今後は2ヶ月に一度の診察で良いそうです。
抗がん剤もしなくて良くて薬も飲まないんだそうです。
父親には余命を知らせてないし、今日は両親で診察に行っていたので、余命がどうなったとかは聞けなかったらしいし完治もしてないみたいですが、わたしが想定していた中では最善の結果が出たと思います。
ちなみに父親は標準治療しかしておらず、セカンドオンピニオンも行きませんでした。
食事療養とかも興味がなく、味の素を使ったり添加物満載の菓子パンとか、ホカ弁の唐揚げ弁当を食べたりしていました。
野菜はあまり食べませんが果物は毎日食べてました。
わたしがスピルリナと有機ゲルマニウムを購入して、それを毎日飲んでもらっていたことくらいが標準治療以外にやったことです。あとは毎日お祈りしてました。
これからもつづけて飲んでもらうし、お祈りも毎日続けようと思います。
父が元気で良かったです。
余命3ヶ月とかじゃなくて本当に良かったです。
でもやっぱり実家には帰ろうと思います。
自分のことばかり考える贅沢
特に何もすることがないので、ずーっと自分のことを考えている。
毎日、何もしていないと不安になってしまうが、人の脳とは通常は暇だと色々と先のことを考えて不安になるもののようだ。
とはいえ、月末に実家に帰るまではどうしたってこの状態が続く。
ここは気持ちを切り替えて、何もすることがなく自分のことだけ考えていられる、それは何て贅沢なことなんだろう、と考えることをわたしは選ぶことにした。
とにかく自分を自分で観て、自分が何を感じて何を歓びとしているのかを一日中考えている。
けっこう集中力がいるので、内観になるという神聖幾何学を綿棒で作ったり、波動が高いという龍体文字を書いてみたり、youtubeの誘導瞑想を試してみたり、絵を描いてみたり、好きな文章を写したり。
さて、こんなことを考える前のわたしは結構人当たりが良く優しいフリも上手く、他人の悪口は言わないと決めていたので、友達が多く飲みの誘いも頻繁で、特にコロナ以前は一人でいることは殆どなかった。
わたしは人が好きだし、余程わたしのことが嫌いとかではない限り、どの人の中にも良い部分を見つけることができた。
ただ、その反対にどんな人の中にも癖や弱い部分を見つけることもしていた。
だから、殆どの人のことは好きだけど信用はしていなくて、頼ったり相談したりすることはなく、内心では優越感にひたっていた。
何でそんなに後先考えず感情のまま行動するのだろう?バカなの?それとも考えることもできないくらい精神的に弱いの?とか。
もちろん、顔にも態度にも出さないし、そんなこと思ってるなんて絶対言ったりしませんが。
その優越感は多分上手く生きるということに対しての優越感で、わたしの中でなくてはならないものだった。
さあ、わたしは何故そんなことをしていたのか。
本当の自分は弱くて要領が悪く、トロくてぐすだし、優しくもなく気配り目配りもできない、理解力も劣るから他人にうとまれて嫌われる。
だから強くて要領が良くてテキパキして優しい気配り上手なわたしを演じないといけない。
そう思っていたからだ。
思っていた、昨日まで!!
色んなことが上手くこなせるようになったけど、それはわたしが本当の自分を隠蔽するために必死にパテみたいに塗りかためて上手に隠したつもりになっていた。
わたしは最初から弱い部分はあるかもしれないが、問題があるほど弱くはなく、要領はわりと良いし、トロくもぐすでもなく、どちらかといえば優しくて理解力もちゃんとある。でも例えば、もし弱くてぐすだったりバカだったりしても、うとまれて嫌われたりしない。本来、どんなわたしだって愛されて当然なんだから。
先日、母のことは書いてみたが、まだまだわたしは母親の創った物語の設定の中で生きていているようだ。抜け出せていなかったようだ。
まだまだ澱が沢山あるだろう。
生きている間に、ちゃんとわたしに戻りたい。
スマホが壊れたから心のワーク
昨日の朝からモバイル通信が殆ど機能していないというか、電波が立たないので午前中は電波障害かと思っていました。
待てば戻るか、と思ってカフェでコーヒー飲んでました。
で、お昼頃家に戻っても治らないので、コールセンターに電話してみようと思ったらモバイル通信出来ません、みたいなメッセージが出てきて電話が出来なくなってました。
PCで通信障害の情報を調べ、何もないのでやっとわたしのスマホの問題だと認識しました。
で、PCで解決策を検索し、ひととおりやってみたけど、電波は元に戻らず、しかもSIM カードを差し込み直してみたら、電波のマークに×がついてしまって、時々アクセス出来てたモバイル通信が完全に死亡してしまいました。
気分が下降してきたので、スマホが壊れたことは事実と認め、何故憂鬱になっているのか自分に質問してみました。
手続きが面倒だから。
お金がかかるから。
何で、なにもしてないのにこんな目にあうの?
という気持ちがありました。
手続きが面倒→そうだね、面倒だね。でも淡々とやるしかないもんね。
お金がかかるから→お金はあるから大丈夫。こんなときに使うためにあるんだよ。
何でこんな目にあうの→それは解らないけど、スマホが壊れたって治せるんだからいいじゃん。
ところで、何でそんな嫌な気分になってたの?スマホが壊れたっていい気分を選ぶことも出来るよ?
と、状況は変わらないけど、気分は良くなりました。
と、ここで若い頃付き合っていた人のことが頭に浮かびました。
何かあると、例えばコンタクトを落とした、とかで、この世の終わりみたいに落ち込む人でした。3日くらいたつとケロッとしてるんですけどね。
そのときは好きだったので、気にしないようにしていましたが、別れてから好きじゃないフラットな気持ちで思い出すと、気分に影響されてどんよりした雰囲気を撒き散らす最低な人間だったな、ってずっと長い間、彼に対しての思いはそんな感じでした。嫌悪感というか。
わたしだったら、落ち込んだって他人前では平気な振りをする、それは気遣いでもあるし落ち込んで3日後にヘラヘラ復活なんて恥ずかしくて人には見せられないというプライドもあるから、と。
それが正しい態度、大人なら取るべき態度だと思っていました。幼心に彼の態度が余程嫌だったんだろうと思います。
でも、わたしそのことによって、嫌な気分や落ち込んだ気分を人前では感じてもいないように平気なふりをしてきて、いつの間にか感じないことが当たり前になっていたな、と思いました。
とりとめのない文章になってしまいましたが、要はちゃんと自分の気分を感じよう、それが嫌なものでも!ということでした。
好きな文章を書き写してみたら
先日、自分の感情をノートに書いてみたら思った以上に気分が落ち着いて頭に余白が出来たみたいに感じたので、朝起きて冴えない気分のときは、まずノートに感じてること追ってくる思考を書きなぐっています。
で、何だか書くことが楽しくて好きになったみたいなので、好きなブロガーさんの好きな文章をノートに書き写してみようと思いたちました。
書き写すことで、より思考に刻まれて、わたしもこんなふうに感じたり考えたり出来るようになれるかも、と期待しながら。
善き言葉には善い想いが乗っているとわたしは思うので、何もなくても書き写してるだけで澄んだ気分になるし、あまり疲れもしないです。
やったことないけど、写経もこんな感じなのかな?お経の意味は解らないけど、何故か何度か聞いた般若心経や真言とかを覚えてしまったので、けっこう唱えるから善い想いみたいなのは何となく解るので。
気がついたら時間も忘れて夢中になってて、沢山写して善い気分になっています。
チャクラ
昔、レイキのアチューメントを受けて、手から気がでるようになりました。
その後、リコネクションというエネルギーと繋いでもらい、頭からエネルギーが入るのを感じるようになりました。
といっても、手から気がでる感じや頭がエネルギーで押される感じを時々楽しんだりする程度で、特に何かの役に立つとかいうわけではなかったです。
ただ、なんとなく、喉のチャクラが詰まっていて、頭からエネルギーが入ってきても下には降りていかないこと、特に第1、第2チャクラは殆ど機能していないということが解っていました。
最近、気功の本を数冊程読んで、簡単な八段錦という8つの型から成る健康のための体操みたいなものの中の一番最初の1つだけをやってたんです。
今日で3週間目くらい。
丹田に気を貯めることをちょっとは意識していますが、ラジオ体操の深呼吸程度のものです。
今日、もう寝ようかなと思って、リラックスのために手から気をだして遊んでいたら、初めて丹田の部分が熱くなりました。
第2チャクラが活性したようです。
それに、頭が押されるようなエネルギーの入りかたではなく、足の方から丹田にエネルギーが入った感じなので、もしかしたらグラウンディングもちょっと出来たのかも。
だったら嬉しい。
初めての体感だったから自分のための備忘録として書きました。
紙に書くセラピー
わたしは移り気で、継続が苦手です。
良いように言えば柔軟で頑固ではない、ということですかね。
最近の目的は自分を癒すこと。
これはめずらしくブレてません。
そのためにはホ・オポノポノとメタ認知が良いと思っていることにも変わりないんですが。
他にも良いことはないかな、と常に探すのがわたしなんです。
youtubeでヒーリングの音楽とかエネルギーとか見たり、誰かのブログを読んだり。
わたしは一昨日、一人暮らしの部屋に戻ってきました。部屋を解約して実家に戻ることにしたので。
でも、気分が変わったら少しだけこのままで働こうかな、とか思っていまして。
父の病状も比較的安定しているから、わりと気楽に考えて戻ってきたつもりでした。
が、いざ一人になってみたら一気に不安定になって色んなことが怖くて不安。
まるで去年末に父が末期癌と知らせを受け、翌日の手術で息を引きとりかけたと追って連絡を受けた日の精神状態が再現されてしまいました。
思い出して感情に巻き込まれたのか、この部屋に残してたエネルギーを感じたのか。
それとも1人になったから寂しくて不安になったのか。
長い間ずっと精神的には安定していたと思っていて、自分なりにほぼ感情に翻弄されることがなかったけど。
20歳くらいのわたしは確かにこんな不安や揺れ、絶望感を感じることがありました。
多分、精神的に安定なんてしてなくて、感情を押し殺して蓋をして感じないようにしてただけなんだろうな、だから今回こんなふうにまた再現されてるんだろうと思いました。
いてもたってもいられないような、悪い方にしか考えられず、不安で不安を自分で掻き立てるような状態で、ふと机の上に新品のノートが置いてあるのが目に入りました。
何かに使うつもりで買ったのでしょうが、覚えてもいないので、いつか、何かで読んだ感情を書くと良いというのを思い出して、そのノートに5ページも書きなぐりました。
直後、気分的にすっきりしたんですが、それよりもしばらく時間がたったときに、あれ?頭に余白が出来たみたい、と感じました。
わたし眠るのが苦手で考え事ばかりして目が冴えてくるのですが、寝る前の寝つけない時間が考え事をしてないわけじゃないけど半分夢みたいというか。
上手なマッサージ受けてるときに、起きてるけど寝てるみたいな状態になりませんか?
あんな感じで1時間、2時間と過ごしました。
まったく不安とか感じませんでした。
すごく効果を感じたので、しばらくは時間もあるし、頭の中を書くことをしてみたいと思います。