母親に愛されたかった気持ち

わたしは自分の母親と相性が合いません。
他人の目で見ると、悪い人ではないのだろうとは思いますし、産んで育ててくれたことに感謝はしています。

ただ、人間としての相性の悪さなんだと思います。

母親に母親の役割を期待していた頃、許せないことが沢山あったし、子供のわたしにしてきた数々の仕打ちを謝らせたいと思っていました。

でも、いくら訴えても母親には届きませんでした。
わたしは悪くない、あなたの性格がひねくれてるからそんな受け取りかたになるんだ、と。

わたしには弟がいて、この弟のことを母親は溺愛しています。
それは誰の目にもあきらかなのに母親曰く、わたしは平等に育てた、と頑なに言います。

幸い、幼い頃にはとても愛してくれた祖母や叔母がそばにいたし、父親からも愛情は受け取っていたので、自分への無価値感というのはないんです。

ただ、小学生になってからは祖母や叔母とは離れてしまったし、父親もあまり家にいなかった上、同居の血の繋がらない祖母が意地の悪い人だったので、自分の心に寄り添ってくれる人が皆無で寂しい思いはしましたが、それでもわたしは自分がダメ、とかは思っていなかったので、祖母に意地悪されても担任のヒステリックな先生にわけのわからないことを怒鳴られながら殴られようと、わたしが悪いのでは絶対にないって思っていました。

この頃の母親はただ、わたしが迷惑をかけない限りは無関心というか興味がなく、ただ家事をやってくれる人という感じでした。話を聞いて貰ったり、悩みを打ち明けたりするような相手ではなかったです。

その後、母親は無関心から邪魔をする人になりました。わたしが思春期に入り、女の子らしく可愛くお洒落したりすることに対しての嫌悪感が凄かったんです。
経済的にも締め付けられたし、わたしの劣等感を煽るようなことばかり繰り返し言っていました。

とはいえ、ここでも幸いなことに、わたしは成長が遅く、女性らしい身体つきになったのは高校生くらいだったので、自分の容姿について客観的な評価というのをある程度は異性によって知っていたので、母親の言うことに傷つきはしましたが、自分が女性として価値がない、とかも思いませんでした。

わたしの母親は、わたしの未来が幸せなものであるように願ってくれたことは、おそらく一度もなかったんじゃないかな。

よくある話ですが、すごい不幸は願わないけど、自分より幸せになるのは許せない、という感じでしょうか。

自分に人間としての無価値感はなく、女性としての無価値感もない、と書きましたが、20歳前くらいから、人生観として、わたしはすごく不幸になったりはしないだろう、でもすごく幸せというのもないだろう、いつも基本的には足りていても何かが満たされない人生をおくるのだろう、と思っていました。

今現在、そのとおりになってます。

何かが満たされない、それはやっぱり母親からの愛情なんでしょう。
母親の無関心や戯れ言を受け入れてはいないものの、やっぱり母親には愛されたかったんですよね、わたし。

それを諦めたふりで、その気持ちを無視してたから、何かが満たされなかったんだと気付きました。

わたしはお母さんに愛してもらいたかった。
でも、愛してはもらえなかった。
そのことはとても悲しい。

でも、わたしを愛さないのは母親の問題であって、わたしの問題ではない。
母親がわたしを愛さなかったのは、わたしに問題があったからではなく、母親に問題があったから。
それだけのこと。
気が付けば、たったそれだけのことだ。

そして、わたしは大人になったから、自分で自分を慈しみ可愛がり大切にすることが自由に出来る。
今後は存分にやろう。

今年老いた母親は、わたしの容貌の衰えと共に穏やかになった。わたしが結婚せず子供をもたなかったのも大きいのだろう。

うらみつらみは消えはしないかもしれないが、やはり母親なのでわたしの方は母親の幸せを願っている。
愛情を返してはもらえなくても、わたしは母親が大好きだし愛しているんだと思う。

そして、それでいいんだと思う。