友達との縁切り

父親の末期癌によって、このブログに書いてあるような様々なことを考えるようになる前のこと。

わたしは長年の友人との付き合いをやめようと思っていました。

これまでも、数回そのように思っていたのですが、執拗な連絡に負け、そして話してしまえば相手にはっきりそのように伝えることができないわたしの弱さがあって、うやむやになってしまった上での付き合いです。

良い部分も沢山知ってるし、一緒にいたら楽しいときも確かにあります。
イヤなばかりではないんです。

だけど、長い付き合いのため、わたしが何を言われたら嫌なのかがわかっていて、それを多分わざと伝えてくる彼女にわたしは怒り大爆発。で、腹いせに彼女が嫌がるだろうことを口にするから、また重ねて言われて言い返して。。。

平気な人もいるとは思いますが、わたしにはこれが本当にキツいんです。
他の友人関係では一切ないし、またあるのなら自然に友人ではなく知り合い、とかになるんだと思います。

知り合いの距離感なら、道で偶然会ったときに笑顔で挨拶も出来るし、立ち話くらいなら全然楽しくできるはずですから。

そこが、自然に知り合いの距離になれず、執拗に友人関係を保つように喰い下がられ、わたしが自分を押し殺して彼女の要望を優先したために最後には苦しくなってしまい、特に何もないのに再び電話に出たくなくなってしまいました。

そして、それでいいと思ってました。
執拗な電話もメールもほおっておこう、と。
いつもは連絡を無視することに罪悪感を感じてしまっていたし、今回も感じていました。
でも、これを繰り返してどうするんだ、もう終わり、わたしは怒ると疲れるし、やり返してしまう自分も嫌だと。

でも、起こる問題は全てわたしの責任、という考え方を得たことによって、わたしに激しい怒りをもたらす彼女のことが思い当たりました。

何故、わたしは怒ったのだろう。
何故、しつこくされると嫌な気分になるんだろう。

それを例によって自答自問しながら考えることによって、確かに自分のこだわりを見つけることができました。

そうしたら、彼女に対する一方的な怒りや憎しみに近い気持ちが、すっと軽くなり、わたしにこれを気づかせてくれるために長年友人でいてくれたんだな、とむしろ感謝の思いまで出てきました。

もう、彼女と友人として関わるのはやめようというのは変わらないのですが、どうか幸せでいてもらいたい、と心から思えるようになりました。